J-POP レビューステーション

音楽の言語化をテーマに、J-POPの名曲やアーティストをレビューするブログです。

ASKA、CHAGE and ASKAの貴重映像作品レビュー

ここのところ、ASKAさんがYouTubeに過去のライブ映像、ミュージックビデオを続々とアップしてくれているので、鑑賞に多忙を極めつつあります。

全国が緊急事態宣言で外出自粛を余儀なくされていますが、家の中で芸術・音楽・エンターテイメント等を楽しめる機会をクリエイターの方々が提供してくれています。
まさか、この作品が無料で視聴できるとは、という驚きの連続です。

ASKAさんがアップしている映像群も、既に作品として販売されているので、ファンの方々には馴染みの映像。
でも、世間一般の方々にはあまり知られてない作品も含まれていますから、そういった名曲群がこの機会に世間に広がっていくのが嬉しいですね。

今週は、アルバム『Black&White』のミュージックビデオ、コンサートツアー『ID』の映像、コンサートツアー『My Game is ASKA』の映像がアップ。

さらにCHAGE and ASKA公式チャンネルでは、今週が1980年代のライブ映像、来週は1990年代のライブ映像、再来週は2000年代のライブ映像が公開となるそうです。
どんな曲が視聴できるのか、楽しみは尽きません。

今日は、今週公開となった映像で、私が好んで視聴している作品をご紹介します。

Black&White/Making」(ASKA / Black&White Music Video)

 調和する人は、何も語らなくとも自らの言動を理解し、ずっと味方でいてくれる。しかし、調和しない人には、どれだけ心を込めて接しても、簡単に裏切られてしまう。
 だから、そんな世の中を冷静に見極めながら、調和する人との出会いに感謝しつつ、共に過ごす道を選びたい。

 そんな気持ちがリズミカルに浸透してくる名曲です。

「Fellows」(ASKA / Black&White Music Video)

 かつてチャゲアスでファンに対して「声を聞かせて」と歌ったASKAさんが、今は「話を続けろ」と歌っています。
 あれからいろんな修羅場を潜り抜けてきたASKAさんとファンは、「僕たちの音楽を愛するあなたたち」の関係から、今や「わかりあっている仲間たち」の関係にまで近づいています。
 最近は、ASKAさんがTwitterを開始して、ますますファンとの距離感が近づいています。

 

「帰宅」(ASKA CONCERT TOUR ID)

大人になってから、とてつもない名曲だ、と気づいた「帰宅」。
ASKAさんが歩んできた音楽活動の苦悩までが流れるように見えてきて、聴き手が若い頃に経験した挫折と重なり合い、まさに全身が震えるほどの共感に襲われます、。

「草原にソファを置いて」(ASKA CONCERT TOUR ID)

心の内面の風景と願望を歌った抽象的な詞は、ASKAさん自らが持っている数多くの苦悩と孤独を最初は切なく語りかけ、そして中盤では激しい心の叫び、そして、終盤では達観へと至る構成になっています。
 一度聴いただけで心に深く刻み込まれ、気分を軽くしてくれる名曲です。

「月が近づけば少しはましだろう」(ASKA Concert Tour 05>>06 My Game is ASKA)

ASKAソロのスタイルを確立させたライブ『My Game is ASKA』。
中でも「月が近づけば少しはましだろう」は、神がかっていました。
魂の叫びを歌にして噴出させた迫真の絶唱
ASKAソロのライブ映像の中で、私が最も再生しているのがこれです。
もし、叶うなら、この映像だけは、ずっとYouTube上に残してほしい。

「cry」(ASKA Concert Tour 05>>06 My Game is ASKA)

このASKAバージョンを聴いて、「cry」の魅力が数段上がりました。
その後も、ファンの間で人気は上がり続け、ついに2018年にはベストアルバム『Made in ASKA』で音源化が実現しました。


[LIVE] 万里の河 / CHAGE and ASKA / THE夏祭り 大阪城LIVE

こんな曲まで公開してくれるとは驚きです。
言わずと知れた、チャゲアスを一気に一流アーティストに引き上げた大ヒット曲です。
大ヒット曲は、やはり風格があります。
これが世に言う1回目のブレイクです。

[LIVE] モーニング ムーン / CHAGE and ASKA / HISTORY I ~10years after~

レコード会社を移籍して、心機一転、華々しくJ-POPの第一人者に躍り出たのが大ヒット曲「モーニングムーン」です。
これが世に言う2回目のブレイクです。
ここから光GENJIへの楽曲提供、そして、1990年代のブームへとつながっていきます。