J-POP レビューステーション

音楽の言語化をテーマに、J-POPの名曲やアーティストをレビューするブログです。

ASKAが1995年以降、誹謗中傷について歌い続けた価値

今週は、SNSでの誹謗中傷について、様々な話題が飛び交いました。将来は、世界のプロレス界の大スターになれる逸材だった木村花さんのニュースに無念を感じずにはいられません。
実は、私は、岩谷麻優選手のキャラクターが好きでスターダムのファン。
最近もYouTube動画を観ていたので、この1週間は、ニュースを読みあさってしまいました。

私も、音楽や野球のSNSをやっている以上、他人事ではありません。
長くやっていると、たまにアクセス数が跳ね上がるときがあって、アンチコメントが書き込まれたり、2チャンネルでいろいろ書かれる、など誹謗中傷に悩まされたこともありました。
世間から一時的にストレスのはけ口にされているだけ、と分かっていても、やはりダメージはあります。

キングコング西野さんのように、誹謗中傷されすぎて、アンチコメントなんて蚊みたいなもの、という達観にたどり着くのは容易ではありません。

ここのところ、メンタリストDaiGoさんやビジネスYouTuberマナブさんなどは、法的措置を行って、抑止力を高める効果を模索されています。
今後、SNSでの誹謗中傷が著しく減少するのを願うばかりです。

そんなことを考えると、気になるのがASKAさんの受けてきた膨大な誹謗中傷です。
音楽業界の頂点を極め、奈落の底に落とされ、そこから復活を遂げたASKAさん。
楽曲で振り返って見ていくと、ASKAさんの苦悩が垣間見えます。

ASKA「月が近づけば少しはましだろう」

この曲の発表は、1995年2月。
大ヒットを連発するチャゲアスブームの渦中で、まだインターネットが普及も進んでない時代。

そんな絶頂期にありながら、ここまで苦悩を吐露する楽曲を発表したのは驚きました。
まさにASKAさんのターニングポイントになった楽曲です。

サビの「この指の先でそっと拭きとれるはずの言葉だけど」。
今聴くと、ASKAさんの中には、四半世紀前にスマホの指操作で誹謗中傷の言葉を消すイメージがあったのか、と鳥肌が立ちます。


ASKA「はるかな国から」

この曲は、いじめられた少年の自殺を取り上げた作品。
描かれるのは、誹謗中傷に苦しむ人たちへのメッセージです。
どんなことがあっても、決して死んではならない。季節とともに服を着替えるように、生きやすい環境を見つけて、生きよう。
長い目で見れば、誹謗中傷は、一時的なものだし、逃げ道はあるのだから。

この曲も1995年2月発表。上記2曲が収録となったアルバム『NEVER END』はASKAさんの音楽史の中で、重要な位置に存在します。


ASKA「ID」

1997年2月発表の「ID」が描いた世界は、その後、インターネットの世界で仮想現実の世界として実現してしまいます。
自らの氏名とは全く異なる個人のIDは、その匿名性の高さから徐々に、巨大掲示板SNS、ブログなどで他人への誹謗中傷の道具となっていくのです。

つまり、ASKAさんは、核家族化、都会化が進んだ上にネット社会になり、人々が匿名で過激に攻撃し合う社会が間近に迫ってきていることを当時から予見し、楽曲として発表したのです。
私は、この楽曲が描く世界が現在のネット社会における最大の問題として顕在化したことに驚きを隠せません。
ASKAさんがまさに時代の先を読んだ感性でこの楽曲を制作し、将来へ向けた警告を発していたように感じられます。


CHAGE and ASKA「群れ」

この曲をチャゲアスのシングルとして発表したのは、当時驚きました。
いつまでもバラードやポップスのヒットメーカーとしての姿を求める世間に対するASKAさんのメッセージが詰まっています。

当時、どんどん進化していきたいASKAさんに対して、世間は1990年代前半の姿を求めていました。中には、誹謗中傷もありました。
その声の1つ1つは、軽い気持ちで発せられたとしても、様々な人々を通して世間に広まるにつれ、噂がひとり歩きして、とんでもない話が出来上がってしまったりします。
チャゲアス史上最も大きな葛藤を描いた楽曲と言えるでしょう。


ASKAさんは、事件後、復活アルバム『Too many people』を発表し、そのタイトル曲「Too many people」もまた、自らに浴びせられる言葉に反応した楽曲でした。
タイトルのとおり、世間やマスコミ、警察、ファン、親族、友人、音楽関係者など、ASKAに関係する多くの人々に、自らの想いが正しく伝わらないもどかしさを字余りの朗読調で歌い上げています。

 

「Fellows」ASKA

そして、ファンクラブの名称ともなった「Fellows」。
ASKAさんは、数々の修羅場を一緒に潜り抜けてきたファンを「Fellows」と呼び、「イカした仲間」という意味で使っています。

主人公は、他人の何げない言葉に傷つき、愛情から生まれる苦言にも傷つき、自分の中で様々な苦痛となって降り積もっています。
そして、自ら発言する機会を自らの心の中に溜め込み、1人苦痛にもだえます。

それでもなお、仲間とは気持ちを共有し、寄り添いたい。主人公は、黙り込みながらも、仲間の話に耳を傾けるのです。


「修羅を行く」ASKA

「Fellows」からの流れを感じさせる楽曲です。
批判や誹謗中傷が渦巻く社会で、寂しさと虚しさを感じながらも、試行錯誤を繰り返し、戦い続ける覚悟を描きます。

果てしない誹謗中傷に傷つきながらも、戦車のように前に進まなければならない自らを、もはや宿命なのだと受け止めています。
ファンや仲間には、黙って抱きしめるように見守ってほしい、という願いも歌っています。


1995年以降、誹謗中傷を歌にして昇華しようとしてきたASKAさん。
きらびやかなバラードやポップスを求める人々にとっては、不満が積もったでしょう。

しかし、ASKAさんが自らの内面を赤裸々に歌い続けてきたことで、それらの楽曲に救われたという話を数多く聞きます。
私は、その結果こそが真の価値だと思うのです。