J-POP レビューステーション

音楽の言語化をテーマに、J-POPの名曲やアーティストをレビューするブログです。

ASKAニューアルバム『Breath of Bless』レビュー

 本日(2020年3月20日)は、ASKAさんのニューアルバム『Breath of Bless』発売日です。
 全曲先行配信発売があったためか、既にネットには多くのアルバムレビューが上がっていますね。
 私も、恒例のアルバムレビューをさせていただきます。
 アルバムを堪能しながら、読んでいただければ幸いです。


 歌唱曲を全曲ASKAが作詞・作曲・編曲をこなしたニューアルバム『Breath of Bless』。

 カバー曲も、セルフカバー曲もない。
 すべてがオリジナル曲で、アルバム未収録曲。ここ2年余りの間に制作された新曲ばかりである。

 60代となれば、通常はカバーやセルフカバーで曲数を埋めたりするものだが、ASKAは、若い頃と同様の熱量で、新しい作品だけを生み出し続けている。

 稀代のアーティスト。
 彼がその領域に足を踏み入れた証明がこの『Breath of Bless』だ。

 

1. 憲兵も王様も居ない城

 1曲目は、この曲しかないだろう。
 CHAGE and ASKAを脱退して、新しい一歩を踏み出すASKAのほとばしる熱気が全編から感じられる楽曲だ。
 すべてをソロ活動に注ぎ込むニューアルバムの幕開けにふさわしい。

 配信発売当初から「憲兵」「王様」「城」「遺書」が一体何を表しているのかが話題になっていた。

 ネット上の有力な意見が憲兵=Fellows、王様=ASKA、城=旧事務所、遺書=解散である。憲兵の中には、ファンだけでなく、昔からずっと一緒にやっているスタッフや音楽仲間も含まれているだろう。
 「CHAGE and ASKA」の観点から見れば、ASKAがかつてのCHAGE and ASKA活動の場である旧事務所と決別して、ファンや昔からのスタッフ、音楽仲間とともに、険しい道のりをお洒落に歩いていこうとする姿の例えと言える。

 ASKAは、この楽曲に「CHAGE and ASKA」と「自分」という2つの意味を持たせているそうである。
 つまり主人公は、CHAGE and ASKAであり、ソロのASKAでもある。
 CHAGE and ASKAも、ASKAも、旧態依然とした中で、尻すぼみになっていってはならない。
 新しいCHAGE and ASKAASKAに生まれ変わって、新しい時代を牽引していかなければならない。
 そんな未来へ向けた強い意欲と展望が感じ取れる名曲だ。


2. 修羅を行く

 勇気を出して一歩目を踏みだしても、まだまだ道は険しい。
 試行錯誤の中で前進と後退を繰り返し、傷つきながらも戦い続ける姿を描くブルースロックだ。
 悲鳴がとどろく戦火の中を突き進む重戦車を思わせる激闘の響き。

 1番には、YouTube公開の2番にはない低音で硬派なダンディズムAメロが存在する。美しい黄昏の景色と、喧騒で寂しく見える人の群れの対比。

 そして、Bメロからは、批判や誹謗中傷が渦巻く社会で、寂しさと虚しさを感じながらも、試行錯誤を繰り返し、戦い続ける覚悟を描く。

 サビでは、聴こえないもの、見えないものにまで共感する繊細な主人公と、癒しの仲間が描かれる。

 ASKAは、様々な楽曲のイメージを重ね合わせて作っているようだが、私には名曲「Fellows」からの流れを感じる作品だ。

 ふと思ったのは、こういうダーク調のロックは、昔だったら、1人称は、「僕」じゃなくて「俺」や「オレ」を使っていたんじゃないかな、と。
 でも、ASKAは、復活後、「俺」や「オレ」を使った楽曲がまだ1曲もない。
 偉そうな言葉をあえて避けているかのような表現にも、ASKAの詞作りの繊細さが垣間見える。


3. どうしたの?

 3曲目は、一転して、ミディアムバラードのラブソング。この振り幅の大きさこそがASKAの音楽最大の魅力だ。

 きっと主人公は、最愛の女性と一緒に部屋を借りて暮らし始めたばかりなのだろう。
 無防備に傍で眠る女性を見つめながら、生きづらい現代社会の苦難を忘れて、癒しに浸る。
 ささやかな幸せこそが最も尊いのだと、改めて感じさせてくれる温かい歌だ。

 1980年代から1990年代のASKAが好きなファンにとっては、一大ニュースだろう。甘いラブソングを歌うASKAこそ、チャゲアスブームの象徴だったから。
 この楽曲が描く2人の世界は、おそらく20代くらいの若い世代も共感できるはず。

 それでも、歌詞の端々からは、歳を重ねたからこそ、描ける真理が顔をのぞかせる。
 歳を重ねたアーティストが描く若い人々の恋愛像は、甘さに含蓄が加わって、実に味わい深い。


4. 未来の人よ

 「未来の人よ」は、1分以上の前口上から始まる。ASKAがBGMに乗せて、上京した21歳当時と今を語るのだ。

 21歳で見た雨上がりの澄み渡った空と、今、60歳で見る澄み渡った空。
 その空の風景は、何も変わっていない。
 なのに、なぜ自分は……。

 歳を重ねた誰しもが共感できるであろう、その世界観。
 そこから、始まる楽曲は、1番の前半で主人公の幼少時の幸福と恐怖を描く。そして、後半では、現在から未来に向けてメッセージを放つ。
 2番の前半では、現在から未来と過去を俯瞰し、歌によって時空を超えた繋がりを感じさせる。

 今が未来を作るからこそ、今このときの愛が大切なんだ。今、愛を失えば、未来は暗くなるけど、今、愛を育めば未来は明るい。

 主人公は、伝えたい言葉を歌に乗せて、未来の人へ届けようとする。
 まさに、未来を生きる人への愛の歌だ。


5. 忘れ物はあったかい

 ASKAが、光GENJIの再結集のために書いた、と明かして有名になった楽曲だ。

 CHAGE and ASKAの楽曲提供により、デビューから無敵の快進撃で新人賞を通り越してレコード大賞を受賞してしまった奇跡のスーパーアイドル光GENJI。シンガーソングライターがジャニーズに楽曲を次々と提供するターニングポイントとなった。

 そんな光GENJIが現在の立ち位置で、現在のファンに向けたメッセージソングがこの「忘れ物はあったかい」だ。
 「あったかい」は、「有ったかい?」と「温かい」を掛けた二重の意味を持っているのだろう。
 歌詞にないコーラスのフレーズ「ガラスのパラダイス」は、光GENJIのヒット曲「ガラスの十代」と「パラダイス銀河」のミックス。彼らが作り上げた青春時代を象徴する言葉だ。

 未曽有の熱狂に酔いしれた楽しい青春時代。きっと、あの当時、光GENJIに熱狂した人々は、今、厳しい社会にもまれて、必死に生きているだろう。
 あの青春時代をもう1度思い出し、「ずっとあの当時からつながっていて、変わってないんだよ」と、そっと背中を押し、絆を感じさせてくれる楽曲である。

 ASKAは、この曲以外にも光GENJI用の楽曲を準備したようだが、その中からこの楽曲を自身のアルバムに入れたのは、おそらく歌う内容が自身の若き日々と重なる要素があるからなのだろう。


6. 百花繚乱

 メロディーにもアレンジにも幻想的な雰囲気が感じられる「百花繚乱」。
 クラブミュージックのサウンドを意識して制作した楽曲とのこと。
 ライブに映える楽曲なのは間違いない。ASKAバンドの躍動する姿が目に浮かぶ。
 これまで、こういったタイプの楽曲がなかっただけに、ASKAの新境地とも言えるだろう。

 歌いだしから描かれるのは、夜に花を抱えてビルから身を投げる男性の姿。しかし、サビで、実は主人公が車の運転中に浮かんだ空想だった、と明かされる。

 そして、主人公は、一体どうしてそんな空想をしたのか自問する。様々な苦難を抱えながら生き続ける自らと対比しながら。

 あまりにも幻想的な光景を描いているため、私は、「迷宮のreplicant」を思い出した。あの曲は、主人公が濃霧の夜に車を飛ばす高速道路の不気味な景色に、まるで夢の中に迷い込んだような気持ちを抱く。
 「百花繚乱」も、「迷宮のreplicant」と同様に、ASKAにしか描けないような独創性を持ち合わせている。


7. イイ天気

 「イイ天気」は、自らを信じて見守ってくれる「君」へのラブソング。
 梅雨に入る前の心地良い風が感じられる立夏の季節がぴったりの楽曲だ。
 私は、ASKAが以前制作した名曲「風の引力」の世界観を、さらに進化させたように感じた。

 すがすがしい晴天の朝は、部屋の中までも、明るく晴れやかな雰囲気に変えてくれる。
 楽曲全体に流れる清涼感に心が洗われる。

 「イイ天気」は、自らをいつも応援してくれる女性への感謝が詰まった内容になっている。
 愛する女性へのラブソングとしても聴けるし、Fellowsへの愛情を込めた歌としても聴ける。

 過去の駄目な自分に打ち克っていくための詞として、剣道の用語を使用しているのもASKAらしいところだ。


8. 虹の花

 「虹の花」は、全編を通して最高に心地良いポップス。「イイ天気」からの流れが心地良さを倍加させる。

 過去の挫折を悔まず、笑って遠い先の希望を見よう。
 そんな気持ちにさせてくれる。

 この楽曲は、チャゲアスで発表してきた大ヒットシングル群に匹敵する作品である。こういう1980年代から90年代のチャゲアスのテイストを感じさせてくれる流麗なメロディーを発表してくれるのは、当時からのファンにはたまらないだろう。

 この心地良さは、「砂時計のくびれた場所」のサビや、「風の引力」のサビを思い出させてくれる。曲調こそ、異なるものの、澄み渡った爽快さが連想させるのだ。

 春から初夏にかけての、清々しく新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込むような感覚がこの楽曲にはある。


9. じゃんがじゃんがりん

 ハイレゾの配信発売後、うなぎ上りの人気になっているのが「じゃんがじゃんがりん」である。
 新型コロナウイルスによる日本中の混迷と先行き不透明な未来が楽曲の内容とあまりにもリンクしているからだろうか。

 なので、最近出来た曲なのかと思いきや、2016年には出来上がっていた楽曲だという。

 1番では最近の亜熱帯じみた気候や、近づいているとされる氷河期、そして、2番は感染、集団パニックを連想させる詞が並ぶ。

 そして、この楽曲のCメロは、英語のわずか1文にすぎない。しかも、ASKAは、かみしめるように歌う。
 意味は「私たちの未来が不安だ」

 さらに、スキャットのようなタイトルや、悲鳴やうめき、嘆きのような演奏や音声が現在と未来の混沌を表現する。

 それでも、結局、愛を注ぐ相手は、最も身近にいる「君」なんだ、と歌う。
 私は、その世界観に井上陽水の名曲「傘がない」や「最後のニュース」を思い浮かべた。
 「じゃんがじゃんがりん」は、現在と未来に対する警告をはらんだ名曲である。


10. 歌になりたい

 先行シングルとなったこの楽曲が描く世界は、主人公自らの人生を俯瞰しながらも、さらに大きく人類や宇宙の根源と未来を俯瞰している。

 ASKAは、この楽曲を「『漂流教室』のテーマ曲」と語っている。『漂流教室』は、楳図かずおが1972年から1974年にかけて発表したSF漫画作品である。
 荒廃した未来へタイムスリップしてしまった少年の過酷な運命と、母と子の時空を超えた心の交流を描いた名作だ。

 ASKAがMV撮影に選んだのはアイスランド。生き物もおらず、人工物も一切ない、溶岩と苔に覆われたその地を選んだのは、きっと『漂流教室』に描かれる未来の地球の姿に近いものを感じたからだろう。

 この楽曲の主人公は、若い頃、自らの心技体が充実して、すべて思いどおりになっていくような錯覚に陥っていた。
 しかし、歳を重ねていくと、自らが成し遂げてきた実績が意外とちっぽけで些細だという現実に気づく。

 サビでは、あまりにも苦く哀しい人間の性(さが)を歌い上げる。誰もが愛に包まれて生きたいはずなのに、願望とは裏腹にいつのまにか孤独な方へ歩みを進めてしまっている性(さが)を。

 完璧なまでに幸福に満ちた人生は、この世に存在するのだろうか。そんな問いかけをしてみたくなる。

 主人公は、なおも自らの人生を回顧する。
 信念を貫くことと夢を追うことのどちらかを選ばなければならなかった人生を。
 そして、その結果、過酷な運命を突きつけられたとき、それでもなお信念を貫けるのか。そんな不安を覚える。

 だが、主人公は、自らに言い聞かせる。宇宙の中では、ほんの一瞬の出来事だ。
 肉体は、仮の住み家であり、人間の意識は、宇宙の命の中で生きている。時を超えても、人間の意識は、ずっとどこかに宿って生き続けるのだ。

 もし、自分たちに役目があるのなら、自らの意識を表現する歌になりたい。歌になって、いつまでも、聴く人々のそばに寄り添いたい。

 そんな想いが伝わってくる楽曲である。

 この楽曲の一番の聴きどころは、サビの輪唱だろう。
 女性コーラスがメインのメロディーを歌い、遅れてASKAが被せるように同じ歌詞を歌う。メロディーは、少し変えて。
 その結果、サビの歌詞を極めて強く印象づける効果を生み出している。

 女性の優しく温かい歌声には、男性にはない母性が宿る。そのため、「歌になりたい」のサビは、あたかも聖母が生命の真理を歌っているかのように感じられるのだ。

 そして、ASKAがメインで歌う「歌になりたい」気持ちを表現するCメロ。最も重要なフレーズを最も効果的なメロディーで表現するのがASKAの真骨頂だ。
 1回聴いただけで、希望と強い意志を熱い心情で奏でるメロディーと歌詞が頭から離れなくなるほど、このCメロは快作だ。

 「歌になりたい」ASKAが描き上げるこの楽曲は、活動再開後のASKAの活動指針と言っても過言ではない。


11. 消えても忘れられても

 仮タイトルが「大バラード」となっていたとおり、テーマは「愛」である。

 自らの肉体が消えてしまっても、「愛」という永遠に寄り添える存在となれるか。
 前曲の「歌になりたい」と対になるような楽曲と言えよう。

 楽曲の構成も飽きさせない。まるで1番と2番が異なる楽曲であるかのように、メロディーや言葉数を変えてきている。

 1番では、自らの弱さを吐露しながら、ふと心に生まれる激情を描く。
 そして、2番では、自らを信じて生きてきたが、誰かひとりくらい幸せにできたのか、と問う。
 相手に向かっての問いかけでありながら、実は自らへの問いかけでもある。

 そこから、まだまだ愛し足りない想いをサビに乗せて誓うのだ。

 ここのところ、ASKAは、新たなバラードを作る度に、描く愛の大きさがどんどん膨らんでいる。


12. 青い海になる

 鋭い人間観察に始まり、空想、冷めた視点、哲学的な思考、生命の不可思議、停滞と不安、恐怖と努力。
 そんな様々な視点や風景がめまぐるしく入れ替わる。
 しかも、そのどれもが暗く重々しい雰囲気の中で、孤独を感じさせながら、ASKAは、心の叫びを吐露するように歌う。

 詞をじっくり聴いていると、入れ替わりのめまぐるしさに、混乱してしまいそうになる。それでいて、聴き終わると、1つのストーリーとして収れんしている。

 断片化された情報を切り取るように描いた作品としては「と、いう話さ」が記憶に新しい。
 この「青い海になる」は、それをさらに暗部の視点からえぐり出すかのように描き上げる。
 主人公は、青い海になると信じて必死にもがき続けているが、出口の見えない迷路に迷い込んだかのようなエンディングを迎える。

 ASKAピーター・ガブリエルの世界観を描いたのだという。
 今までになかったタイプの楽曲で、実験的と言うべきか、前衛的と言うべきか迷うところだが、新鮮な響きを持つ特異で興味深い楽曲である。


13. 星は何でも知っている

 メロディーラインが美しく、アコースティックギターの音色が温かい。加えて、ASKAのうねるように言葉をつないで甘く優しく響かせる歌唱は、唯一無二の芸術である。

 楽曲の構成も、これまでにはなかった独特の「AAB間奏ABC間奏A」という形で、サビと呼べる部分がない。Cメロがサビと呼べなくもないが、1番にないのでCメロと呼ぶべきだろう。ラストのAメロも、後半が初めて出てくるメロディーであり、全編を通じて異色の構成だ。

 おまけに、他の楽曲と聴き比べると、「憲兵も王様も居ない城」との繋がりも感じとれる。
 「憲兵も王様も居ない城」と「星は何でも知っている」。
 どちらも、旧事務所から決別し、CHAGE and ASKAメインの活動を封印して、険しい道である個人活動への専念を表明した歌だ。

 ただ、違いは、「憲兵も王様も居ない城」が男性的な意気込みと力強さで決意表明した楽曲とするなら、「星は何でも知っている」は、女性的な優しさと繊細さでファンを思い慰めてくれる楽曲だ。

 つまり、「憲兵も王様も居ない城」が男性ファン向け、「星は何でも知っている」が女性ファン向けの楽曲ともとらえられる。

 「憲兵も王様も居ない城」では、自らを「王様」や「ひまわり」に例えているのに対し、「星は何でも知っている」は、「僕」という等身大の自分で描いている。
 だからこそ、リアルなASKAの実像が迫ってきて、楽曲の世界に引き込まれるのだ。

 さらに、「憲兵も王様も居ない城」では、自らを見守るものを「お日様」に例えているのに対し、「星は何でも知っている」は、「星」に例えている。
 それがサウンドにも顕著に表れていて、「憲兵も王様も居ない城」は、日中の野外活動のように猛々しく、「星は何でも知っている」は、夜景を眺めるように穏やかである。

 注目したいのは、「お日様」が太陽に限定されてしまうのに対し、「星」は無数にあることだ。
 「憲兵も王様も居ない城」は、常に自分を見守るお日様のような人がいない孤独を表現しているのに対し、「星は何でも知っている」は、無数にある星のどれかが自分の言動のそれぞれを必ず知ってくれているという共有感情を表現している。

 そう考えると、「星」は、Fellowsを例えているのだと言えなくもない。
 星のように無数にいるFellowsは、ASKAを見守っていて、1人ではASKAの言動のすべてを理解してはいないけど、ASKAの1つ1つの言動の真実をFellowsの誰かが必ず理解している。

 罪を犯し、家庭を出て、旧事務所と決別し、CHAGE and ASKAの40周年イベントもやらないASKAを、いい人ぶった世間は、悪く言うだろう。
 しかし、その1つ1つが持つ理由を、Fellowsの誰かは、必ず知ってくれていて、微笑みながらうなずいてくれる。
 そして、一緒に悲しみと苦痛を経験してくれる。

 この楽曲は、それらをまとめて表現しているからこそ、どうしようもない後ろめたさと、完全には理解してもらえないだろうという孤独と、ファンを悲しませたり、苦しませてしまうのが辛いという優しさが入り混じる。

 自らの意志を貫き通すには、悲しみと苦痛を避けて通れない。でも、人生は、悲しみと苦痛があるからこそ、喜びと楽しみがあるのだ。

 「星は何でも知っている」には、「憲兵も王様も居ない城」と同様に達観した人生観が見えながらも、極めて優しく温かく響く。
 だからこそ、この楽曲は、聴衆の心にすっと入り込んできて、体に溶け込んでいくような感覚になるのである。


14. We Love Music

 ASKAの音楽愛がそのまま歌になったかのような楽曲である。きっと音楽を愛する人々なら、この楽曲を構成するすべてに共感できるはずだ。

 私は、初めて聴いたとき、「歌になりたい」に匹敵する壮大なスケールを感じた。
 「歌になりたい」ASKAが、空から降りてくる音楽という存在に、無限の愛情を注いでいて、ファンとともにその音楽愛を歌いたいと願っている。

 特にサビは、ASKAがファンと一緒に合唱するために、歌いやすく、しかも、印象に残る壮大なメロディーになっている。
 「今がいちばんいい」が、生きがいを得た現在の自分への讃美歌とするなら、「We Love Music」は、我々に愛や平和を与えてくれる音楽への讃美歌である。

 もし叶うならば、世界的な音楽祭で、アーティスト全員が合唱してほしい。


15. Breath of Bless~すべてのアスリートたちへ

 ASKAが2年間かけて、矢賀部竜成と東京五輪のテーマ曲として制作した大作だ。
 インストルメンタルで、ASKAの歌唱はないが、聴けば聴くほどその作り込まれた音を深く味わえる。

 この楽曲を制作するきっかけになったのは、山際淳司の著作『たった一人のオリンピック』なのだという。
 山際淳司は、私の学生時代に、最も有名だったスポーツライター。スポーツ選手の一瞬に賭ける心境と孤独、苦悩をリアルに描いた作品が多く、授業の合間を縫って読み漁った記憶がある。

 『たった一人のオリンピック』は、冴えない学生だった津田真男が一念発起し、ボートのシングルスカルでオリンピックを目指すストーリーだ。
 貧乏な生活の中、練習と工夫を重ねて必死に代表選手の座を手に入れたものの、日本がモスクワオリンピック不参加を決めたため、オリンピック出場は叶わなかった。
 政治に翻弄された、あまりにも不条理な結末。

 現在、東京五輪新型コロナウイルスの影響で延期か、中止か、無観客か、などと、またしても政治に翻弄されそうな状況が訪れている。

 それだけに「祈りの呼吸」と訳せるこのインストルメンタルを聴くと、荘厳な雰囲気の中、選手たちがすべてを賭けて挑もうとする息遣いが迫ってくる。
 この楽曲に描かれるような五輪が無事に実現するのを祈るばかりである。